ナンシー関の生き方

先日テレビで「ナンシー関のいた17年」をみた

消しゴム版画家・コラムニストとして
彼女が世に出て有名になり
そして亡くなるまでをドラマ風に仕立てた番組

掃いて捨てるほどの自称クリエイターの一人にすぎない自分ごときが
同じ土俵で語る資格はないが
生前のナンシー関に対しては
クリエイティブに秀でた才能を持ち
しかも同年代であることで正直嫉妬心を抱き
斜に構えて芸能人批評なんて時勢に流されものの何がすごいんだと
彼女の作品を素直に受け入れることはできなかった

そんなナンシー関が
12年前病気で突然この世を去ったこには衝撃だった

なぜ彼女がこんなにも早くこの世を去らなければならなかったのか
周りの仕事人たちがもう少しサポートしてあげられなかったのか
かつて身近にフリーランスで突然死をした人を知っているので
その人とダブり何か不条理なものを感じていた

しかしこのドラマにおける彼女の半生をみて
それが彼女にとっては予想していたことだったのかも知れないということ
それは自身の才能が様々なコンプレックスから作り上げられたもので
仕事で期待に応えることだけが彼女の生きる証だったからなのでか

そのコンプレックスの一つとして子供のころから視力が非常に弱く
人の顔はもとより日常がぼんやりとしか見えないということがある

そのため好評だった取材の仕事も連載として続けることはなく妹に残念がられたが
自分には何でもアップにしてくれるテレビが一番だと言い切る

1日15時間はみるテレビの批評という選択肢しか
なかったのかもしれないとドラマで語られていたが
コンプレックスを抱え限られた能力を求める人たちに最大限応えることが
ナンシー関の生き方で
そのための代償があることへの覚悟を感じた

『私には世の中のことがぼんやりとしか見えないからね』と
同居していた妹に語った言葉は印象的だった

同じ東北出身で同年代
時期は違うが広告学校に通った同窓生として
ナンシー関の生き方は私にコンプレックスにおける強い共感とともに
クリエイターとして重い課題を突き付けられたようだ